新卒で入社した春、私たちの代には「学級委員」と呼ぶにふさわしい、真面目で優しい同期がいました。
同期のまとめ役や新人研修のグループリーダーを進んで引き受け、熱心に質問し、メモを取る。
その姿を見て、「同期の中でも出世するタイプなんだろうな」と、私を含め誰もが疑っていませんでした。
しかし、私と同じプロジェクトチームに配属されたその同期は、私たちの代で最初にメンタルを崩し、最終的には会社を辞めてしまったのです。
私はとても驚きました。
休職するその時まで、私には兆候がまったく見えていなかったからです。
後日、話を聞いてみると、彼はこう言いました。
「先輩がいつも忙しそうで、質問して時間を奪うのが申し訳なくて。自分でなんとかしようと思っていたら、もう頭が回らなくなった」
自分の画面と、キーボードを叩き続ける先輩の背中を交互に見ながら、声をかけられずに手を止めた経験が、皆さんにもあるのではないでしょうか。
「今話しかけたら迷惑ではないか」
「こんな初歩的なこと、自分で調べろって怒られるかもしれない」
そうやって一人で仕事を抱え込み、息苦しさを感じている方は、この先を読んでください。
なぜ抱え込んでしまうのかを心理学の観点から整理し、そのうえでどうすればよいかを紹介します。
※プライバシー保護のため、エピソードの一部を変更しています。
「聞いても怒られ、聞かなくても怒られる」
「忙しそうだから自分でなんとかしよう」と手探りで仕事を進めた結果、どうなるでしょうか。
多くの場合、先輩が求めていたアウトプットとのズレが起きます。
時間をかけて提出した資料を見て、先輩は眉間にしわを寄せながら言います。
「なんで勝手に進めたの」
「わからないなら、なんで真っ先に聞かないの?」
この言葉は、真面目な人の心に深く刺さります。
「勝手なことをする部下」
という烙印を押されたように感じるからです。
では、次にわからないことがあったとき、すぐに質問できるかというと、躊躇いが生まれます。
いざ質問しようとすると、
「今それ聞く?」
「この前も同じこと言ったよね?」
と返される場面が頭に浮かんでしまうからです。
聞けば迷惑がかかり、聞かなければ怒られる。一種の「詰み」状態です。
心理学には、これによく似た
「ダブルバインド(二重拘束)」という概念があります。
逃げられない関係の中で、矛盾する2つのメッセージを受け取り続け、どちらに従っても責められてしまう状況を指します。
厳密には、相手から実際に矛盾したメッセージを受け取ることがダブルバインドの条件です。
ただ、「聞け」と言われる一方で、聞きづらい空気を日々感じ取っている状態は、これにかなり近いと言えます。
どちらを選んでも否定されると感じる状況が続くと、心のエネルギーは少しずつ削られていきます。
そして、「何をしても状況は変わらない」と学習し、行動そのものを起こさなくなる「学習性無力感」につながることがあります。
優しさゆえの「過剰適応」
職場で質問ができない自分を、「コミュニケーション能力が低い」「メンタルが弱い」と責めていませんか。
心理学の視点から見ると、その自己評価は当たっていない可能性があります。
質問ができないのは、能力が低いからとは限りません。
「他人の時間を奪うのが申し訳ない」という優しさゆえに、相手の反応への想像力が強く働いているとも考えられるのです。
こうした傾向は、心理学で「過剰適応」と呼ばれます。
自分のキャパシティを超えてまで、周囲の期待や環境に自分を合わせようとしてしまう状態です。
優しくて真面目な人ほど陥りやすいと言われています。
さらに、強いストレスがかかっていると、他人のちょっとした態度まで「自分のせいだ」と受け取りやすくなります。認知行動療法でいう「個人化(自己関連づけ)」と呼ばれる考え方のクセです。
実際には、先輩は単なる寝不足かもしれません。
返事がそっけなかったのは、忙しくて言葉を選ぶ余裕がなかっただけかもしれません。
それでも「自分が悪いんだ」と、すべての責任を一人で背負い込んでしまうのです。
抱え込む前に試せること
この状況をやわらげる方法は、いくつかあります。
1. 事前に時間をもらう
「〇〇の件で、15時から5分だけお時間いただけませんか」と先にアポを取ります。相手のペースを乱さずに済むので、罪悪感が減ります。
2. 質問をまとめて、自分の案を添える
「ここまで調べて、A案で進めようと思っています。合っていますか」と聞けば、先輩は「はい」か「いいえ」で答えられます。相手の負担が小さいぶん、声をかけるハードルも下がります。
3. チャットやメールで聞く
口頭で割り込むのが難しければ、文字で送ります。相手は手が空いたタイミングで返せます。
4. 聞く相手を変える
直属の先輩だけが相談先ではありません。別の先輩や上司、年次の近い同僚に聞くのも立派な方法です。
5. 職場の仕組みを使う
1on1や面談の場で「質問のタイミングに迷っている」と伝えてみてください。それでも状況が変わらなければ、人事や産業医への相談、異動の希望という選択肢もあります。
なお、眠れない、食欲がない、頭が回らないといった状態が続いている場合は、工夫よりも休むことが先です。早めに産業医や心療内科に相談してください。
自分の努力の外にある「環境の限界」
ただ、ここで一つ、厳しい現実もお伝えしなければなりません。
あなたがどれだけ心理学を学び、勇気を出してアプローチを変えても、相手が変わるとは限りません。
「質問させないオーラ」を出し続け、部下が板挟みで苦しんでいることに気づかない先輩も、残念ながらいます。
他人の性格や職場の風土を、あなた一人の努力で根本から変えるのは難しいのが現実です。
できる工夫を重ねても状況が変わらないなら、それはもはやあなたのコミュニケーションの課題ではありません。部下を育成する余裕がないという、「職場のマネジメントの問題」です。
なぜ、同じプロジェクトにいながら、同期の限界にもっと早く気づけなかったのか。
それは、彼が限界のサインを周囲に悟られないよう、「笑顔でいること」にまで過剰適応していたからだと、今は思います。
「あのとき、先輩の目を盗んででも、話を聞いてあげていれば」
その後悔は、今も消えていません。
限界を迎える前に知ってほしい「選択」
私の同期は、責任感が強すぎたがゆえに、自分一人で環境に適応しようと限界まで頑張り、結果として心が折れてしまいました。
だからこそ、今画面の向こうで悩んでいる方には、彼と同じ結末を迎えてほしくありません。
優しさと思慮深さは、本来どんな職場でも重宝される素晴らしい資質です。それを潰してしまうような環境に、あなたの心と体を捧げ続ける必要はありません。
もし今、「これ以上抱え込んだら自分が壊れてしまう。でも、人間関係や職場の雰囲気で辞めるなんて、ただの逃げなのではないか」と自分を責め続けているのであれば、ぜひ以下の記事を読んでください。
環境を変えることは、逃げとは限りません。
自分自身を守り、あなたの優しさが正当に評価される場所を探すための、前向きな「選択」と捉えることもできます。
【参考文献】
- Bateson, G., Jackson, D. D., Haley, J., & Weakland, J. (1956). Toward a theory of schizophrenia. Behavioral Science, 1(4), 251–264.(ダブルバインド)
- Seligman, M. E. P., & Maier, S. F. (1967). Failure to escape traumatic shock. Journal of Experimental Psychology, 74(1), 1–9.(学習性無力感)




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